覚悟すること

「必ず成功します」「必ず1千万稼ぎます」みたいな言葉ではなくて、「必ず成功するか1千万稼げるかはわかりませんが、それでもその為に1日18時間働きます」っていうのが覚悟だよな、とふと思った。そしてそれが成功でも失敗でも結果に責任を持つというか受け入れるということだ。

しかし、そういうと、「わからない」なんて言ってたら出来ないだろう。絶対にやると本人が確信してないでできるわけがない」と言われるかもしれない。

もう何が何だか本当に何もわからない。僕はもうただただ死にたい。

 

変化すること

変化ということを考えたとき、一番効果的と思ったのが、自分が憎い、嫌い、嫌悪感を抱く、生理的に受け付けないくらいのものをよく観察し、なり切ろうとすることなのではないか、と思った。道徳感のようなものがなければもっと思い切ることは出来るかもしれない。心理的に拒もうとする力を無視し続けるということ。

そもそも、いくら本を読んでも、動画を見ても、勉強しても、無意識レベルで、自分が到底受け入れられないという情報はシャットダウンしているんじゃないかと思う。ユングは「無意識を知らないひとは、自分に起こることを運命と呼ぶ」みたいなことを言っていたとかそういう話しも聞いた。

でも、しかしそういう変化に価値があるのかといえば、それはわからない。その典型的なのは気が狂うことだろう。「気が狂う」というのも人間の防御反応ではあるけどさ、あれだってその人にとって必要な変化だったわけだから。おそらくは生命の維持という目的のためには、ではあるけれど。

 自分の幸せ

「自分と自分の好きなひとのために」というのが良いだろうとは思うけど、最終的には自分ひとりが良かったらそれでいい、というのが大事だと思う。身近な人でさえ、深刻な顔したり感情的なそぶりをするものだから、もうそういうのは本当にどうでもいいんだよ。「死にたきゃ勝手に死ね、べつにおれはおれがいれば幸せだから」くらいなノリでいてよいし、そういう前提があって初めて「他人にやさしくしてあげてもいいな」みたいなことを考える余裕ができるのかもしれないね。

死にたい

いつまでたっても。

グループ

多少の劣等感と緊張感を抱くくらいのグループのなかで少しピリっとするくらいの空気がいいなと思う。そこを基点に何かを考えようとすると、一人で考えることのほぼすべてが時間の無駄なのだ。ほぼほぼ、よりよい決断がだせると思うけど、そこに自分の意志があるのかわからない。でも自分の意志だとか、自分の裁量とかにこだわるのは子供だと思う。

実のところはビジネスとか学問というのは、基本的に他人のものなのだ。そこに名前を残せたとしても、それでもそんなのは本当にごくごく一部の誤差レベルのものなのだ。僕は他人の話しを聞けないと思っているけれど、それでも本を読むのは好きなのだから、人の話しを聴くということは少なくてもできている。でも、最終的に、他人に、より優れたものに、委ねることはできていない、と言えるのかもしれない。

それは自分が未熟だからだろうか。そうだとすれば未熟でないことの唯一の徴は、自分は未熟だと体感できることなのかもしれない。

しかしそういう風に言ってみたところで、自分のおそらくは性質のようなものは変わらないわけで。自分が嫌いだとか他人とか嫌いだとか、本当はそういうこともどうでもいいいのだけど、投げ出しているようで投げ出していないような。

楽をしたい、ということ

全部他人の情報のただ乗り、情熱も思想も方法もすべてただ乗りのフリーライダー。オリジナルはただその組み合わせの方法。みたいなのは理想といえば理想であり、よくよく考えて見れば、考えようが考えまいが、基本には皆そうなのであって、そうだとすればそのことに自覚と誇りを持てるかということだけなのかね、もしかしたら。

ただ乗りしてるくせに、その自覚がなくて、中途半端にしか行えずに、他人のただ乗りを見て怒り出す。オルテガのいう大衆人というのもそういうイメージかな。

そういうのはまた一つの視点であるけど、とにかくそういうことを考える先に『楽をしたいのか』という問いがあるような気がする。それもまた検討違いかもしれないけど。

『楽をしたい』と考えるとき、いまのままではただ横になってベッドで1日中寝ていることになる。これは意識下で考える楽な生き方とは、真逆の辛い生き方だ。

 


全てを理解してしまったハムスター

 

”全てを理解した上で、"自分"はただの"ハムスター"として"生きる"ことを選んだんだな”

 

このネタ動画ではないけれど、そういうふうに考えると、自分にできることなんてせいぜい自覚するくらいのものであって選択など初めからないのかもという気もする。

自分は、楽をしていて、これからも楽をし続けるしかないのかもしれないね。

 

レペゼン地球

最近知ったのだけど面白いひともいるのだね。年齢が近いのもあるかもだけど。音楽には興味ないのだけど。書いている間さえこめかみのあたりが痛いような気がして死にたくなる。DJ社長が3年後とか5年後とか何をしてるのかというのは気になるかもしれない。誰かは僕のことも気にするようなことがあるのかどうか。

平凡と非凡

派手なものと地味なものみたいな2つの真逆の性質のものに気分でひかれるような。もううんざりだよね、人間的なもののすべてがうんざりだ。

未来

未来には面白いことがある。だから生きる価値がある。

なんてことを信じてみて騙されて騙されながら汚い空気を吸ったり吐いたりしてやっていくのかな。僕も人のことを言えないな。匿名のブログだろうが、ノートだろうが虚言の一つもいえないくらいには。

虚言

虚言にも練習が必要だろうか。神になりたいとか、私は神であるとか。Googleわしが育てたとか。美しい嘘は何だろう。人生は総体として美しいだろうか。楽をすればすべてが見えてくるとでもほざいておけばよいだろうか。

楽をする

せっかくだからそういう方向性で考えてみるとしようか。楽をするにはありとあらゆる知識が必要、ビジネス的な思考が必要。どれもこれもそうだから。人のことも知る。努力は一切しない。作業はするけど極力疲れないようにする。敵はいくら作ってもお構いなし、死んだらラッキーくらいに思う。頭を使わないのが何より大事。論理的に考えるなんてもってのほか。責任は部下に押し付ける。心労で自殺したらお葬式では悲しそうな顔をする。サイコパスかな?

楽をする2

「できてるつもりだけどできていない」のであって、楽をすることもやろうと思ってもなかなかできないもんだろ。でもいま思い出しだけどプログラマーの3大美徳みたいなのはこれに近いものがある。Larry Wallのね。だけど、いちいち考えて、文献示したりしてたら時間がかかるので本を読んだら、その瞬間から自分がそれを考え出したように発言してなければおかしいだろう。意識的な問いは楽の反対だから。やっぱりサイコパスだな。そこらへんの心理学はやっぱり面白いんじゃないか。やりたいね。

楽をする3

そう考えるとふとそういうことを言っている人や本があったけと考えてしまうけど、探すのは時間の無駄だから適当な本のタイトルと偉人っぽい名前を妄想してあるってことにする。みたいなそういうのも必要だよね。

でもそれにしてもゴールとして最適なロールモデルみたいなのは必要だろうけどね。そんなのある?そんな素敵なのが?はたして?

 

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いま空っぽな人で検索したらこういうポエムがでてきたけれど、 むしろこういう人に近づいていけないかな。誰だろうか、ブッダ?それとも、人ではないし、思想でもないのか。