困ると良いのかもしれない

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「一流になりたい」ではなぜダメなんだろうな、と思う。誰でも良いけど、この人たち格好いいなと思ったら、盲目的にその人たちに憧れ、模倣して見ていればいいのだ。でも、そういう風な動機付けで上手くいく気がしないし、実際に上手くいったことがないので、たぶんこれからも上手くいかないのだろう。

でも、上手くいかないこと自体は別に良いのだとしても、「なぜ上手くいかないのだろう」ということを考える。そうすると、たぶんだけど、それでも困らないからなんだと思う。

困らないのだ。いまここでうんうん考えたり、生活できる程度の生計を立てながら、時間を無駄に過ごしていることに、ある意味で満足しているのだ。

逆に言えば、「困るな」と思うと身体が自然に動く。

「このままだと、ちょっと困るな」くらいの軽さが自分には適している。「未来は暗いぞ!」とか「今、動かなければやばいぞ!」とか言われること、もしくはその反対に「明るい未来を作ることができるぞ!」「まだまだ出来ることはいくらでもあるぞ!」と言われると、うるせえよ、と感じている。うるさいんだ、他人の言葉も表情も何もかもが。

目に映るもの、頭に浮かんでくること、過剰な広告、余計な思想、「いらっしゃいませ!」のこだまみたいな連呼。すべてがうるさくて煩わしい。ポジティブであっても、ネガティブであってもそれは変わらない。空調が利いている静かで小さなスペースがあれば、すべてが事足りる。

だから、たぶんだけど僕は「自分が困るかもしれないこと」に対して少しだけ余計に想像を巡らませて見れば良いのかもしれない。もう少しだけ長く具体的に。

受け入れるのであれば困らなければ良いし、変えるのであれば困れば良い。それは、これから困らないための、悪くないスタート地点かもしれない。