地味だ

新しいことを考えたところで即時的に何かが変わるわけではないし、面倒だなぁと思う。いまやっている仕事は明日になっても続いているだろうし、その仕事はあまり楽しいといえないし、たとえ毎日確かに十数時間の作業を続けられたところで、結果がでるとしても2年か3年してからだろう。その結果が自分のためになるかどうかもわからない。

その作業の間にも、メールを返信したり公共料金を払ったり髪を切りに行ったりご飯を食べたり、そんなことを続ける必要がある。

足るを知って目の前にあるものを淡々とできればそれでいいんだよ、という気持ちと、何かすごくやりがいのあるでかいことをしたいという漠然としている気持ちをゆっくりと行ったり来たりしている。目の前にあるものは何もかも地味で当たり障りのないもののように見える。もともとはそういうのが好きだったような気もするが、それだけでは生活できないんだよね。

この単調さも、漠然とした大きなものへの憧れも同時に満たすためには、この地味で当たり障りのないことをとにかく極限までこなす、ということになるんだと思う。工夫しながら、平然と、当たり前のことをこなすのだ。結局のところ、この2つは地味で地道で、それでいて地続きになっている。どちらかではなくて同じものなのだ。

 このブログの更新もそろそろ落ち着くとは思う。その代わりに、やってられなくて退屈で時には苦痛でしかないことを、またいつものように、もしくはそれ以上にやるのだろう。死にたいと思ったりみじめな気分になるかもしれないし、案外悪くないのかもしれないし、それはわからないにしてもやることになるのだ。おそらくは、ただそのどちらかということはなく、良くないことも、悪くないことも起きるのだ。昨日までと同じように、明日からも。昨日までと同じように、違うことも。だからただいつものように、落ち着いていたいと思う。