すべてが死ぬほどめんどくさい

とかまあだるいときってそういうことを考えるんだけど、実際のところはせいぜい95%くらいのもので、5%くらいはめんどくさくないものってあるから、そこから開いていくのが良いんだろうね。

今はもうとにかくこれをやりたいとかあれをやりたいとかどうでもよくて、やるって決めたことだけを順番に、淡々と、規則的に、できればいいなぁ、とそんなこと考えてる。この「淡々と」というのはいつになったらできるようになるのかね。

というのも、結局このあとなにをすることになろうと、めんどくさい&めんどくさいの連続だと思うから。ふと思ったけど、johnson & johnsonっていう社名適当すぎるよね。みたいなそういう考え方が駄目なのかもしれなくて考え方を正してからやる方がいいのか知れないけど、もう何かを変えようとかそういうこともどうでもいいんだよ。

でもまあそうだとしても慣れるしかないから、紙にやること書いて上から順番に終わらせるとかそんなことしかできそうもないし、それってすっごいめんどくさいだろうね。more めんどくさい超えて、the most めんどくさい。

そういえば、めんどくさいに対応する英単語ってないのだっけ。makes me sick とかboring とか tediusとかcomplicated とかまあ浮かぶけど、めんどくさいとはまたちょっと違うし、アメリカ人はめんどくさいとか思わないのかな。「やれやれ、彼女は今頃カンカンだろうな」みたいな感じでもっと具体的に見てそうな。それはイメージだけど、少なくても「めんどくさい」って抽象的で使い勝手よすぎて良くないな。なんならこの言葉自体がトリガーになっている感じもするし。

じゃあぼくのめんどくさいって何だろうって、考えることが束縛されるような感じだろう。それをやってる間はただ息をとめて耐えなければいけないような。実際のところは呼吸してるんだけど。いや、そうなのかな。だってやだじゃん。やりたくないじゃん。

実際のところどうだろう。出来る範囲でめんどくさいことをピックアップして、めんどくさい順、やってられない順にソートしたうえで、上から順番にこなしていったら、どんな心境になるだろう。ストレスで舌打ちばっかりするようになるかな。苛々して、ものを殴りたくなるかな。だったら、殴るようの枕でも横に置いておけばいいのかな。

そもそもめんどくさいことってそれに向き合うひとの印象の問題ではあるからな。何も感じなければそれがいいよね。でも、めんどくさいことをいくらやったとしても、それで死ねるわけでもないというか、わりにあわないというか、でもどうせやらないといけないのかな、なんて。

でもさ、やりたくないじゃん。やったら効果あるんだろうな、と思ってもやりたくない。また、そこに戻る。やりたいのか、やりたくないのか。簡単だとか難しいかそんなのは2の次で、やりたいのか、やりたくないのか。小さな嘘をつくことから始めるのならば、まずはそこからなのかもしれないね。

やること考えてやるだけというほんとうに、べつにただそれだけのことさえできればいいのにね。そういえば英語って早くて聞き取れないイメージがあるけど、実際は短いだけなんだよね。行動がはやいっていうのも、みじかいってことなんだろうな。短いっていいよねめんどくさくなくて。

ここまで行っていてもなお、やりたくないから。やるのは勇気がいるからなのか反応が怖いのかストレスが嫌なのか知らないけどとにかく嫌なものは嫌なのだ。

だからいっそ、何一つやらないという心持ちでいけないものなのかな。やらない、というのはようするに受け取らない、ということなのかな。

わたしはやらない。好きなことしかやらないのではなくて何もかもやらない。やりたいもやりたくないもめんどくさいので、やらない。何ひとつやらずに、何一つ受け取らない。そういうひとにわたしはなりたい。いや、なりたいのではなくて、既にそうなのか。やらないひとなのだ。