資産的技術について

 

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 資産というのは、つまるところ相応の年月に耐えられる普遍性を持つものだ。ということを考えたとき、資産的知識や技術というものに目を向けることも、重要なように思う。例えば音楽の場合は、基本的な楽典のようなものはすでに確立していて、それが簡単に変わることはそうそうないはずだ。

「ドレミファソラシド」という音階は、おそらく100年後であっても変わらずに残っていて、DAWのような制作に関わるソフトウェアやトレンドのようなものだけが変化していく。マーケティングもそうだ。WEBであったりTwitterであったり、プラットフォームとトレンドは変わっても、行動のもととなる人間の心理自体は普遍的なものなので、基本的な仕組みはあまり変わらないはずだ。英語とかフランス語とか、語学というのも資産的な価値が高いといえるかも。

プログラミングなどはどうだろう。言語は日々アップデートしているので資産的な価値は数年くらいだろうか。アルゴリズムや基本的な構造は変わらないだろうけど、そういう資産的部分というのはわりと小さいのかもしれない。

要するに、好きなもの・こだわりのあるものがあって、どうしてもそれでなくてはならないというのならともかくとして、そうでない場合は、資産的価値というのは一つの判断基準となりそうだということ。築いたとしても、誰かの気まぐれで一瞬でゴミになってしまうようなものに多くの時間を使いたくないな、と思う。

上にリンクした記事では「10年残るものを作れれば良いな」と言ったけれど、技術に関して言えば30年~50年くらいは通用するようなものが理想なのではないだろうか。ライフサイクルの極端に短いものにいちいち付き合ってられるほど、僕は体力も気力も持っていないのだ。(15m)