確実にできることは何か
やるということしか約束できない
朝起きたときから頭が痛くてひたすら横になっていた。
面白いことが少なくて朝から起きる気がしないし、起きても何もする気がしない、みたいなことが多い。
ぼくにはやりたいことがなくて、だからいつも考えてしまう。
そういうなかでふと「やりたいこと」など何一つないし、これからもできないのでは、と感じることがある。「なりたい自分」もなければ、「かなえたい理想」もない。
空虚な気分のままで10年以上生きているのだから、今日、明日で何かが変わるなんてことは期待できないだろう。
会社で忙しく働いていて生活面で困ったことがなかったときでさえ、ただ起きてただ寝るだけの生活が辛かった。だから生活がどれほど安定すると言われても、進んであの時間に戻る気にはなれない。
そうだとしたら、と考える。
やりたいことが何一つなくてもできることは何だろう、と考える。才能がなくても、やる気がなくても、夢がなくても、希望もなくても、ましてやずっと体調に問題を抱えていたとしても。
思うのだけど、その場合でも結局のところできることというのは、「可能な範囲で自分のやろうと思ったことに少しでも多くの時間を費やす」ということなのだ。
5分よりは10分、10分よりは15分というように。
やるということだけなら約束出来る
この場合は、やりたいことではない。やると思ったことだ。
案外欲求に振り回されないという意味ではそれくらい単純なのが良いのかな、とも思う。
そうして何のとりえもないぼくみたいな人は、ただそれだけのことでもできるのかわからないし、現にできていないのだから、まずは、いや、「まずは」という言葉すら良くないのかもしれなくて、ただそれだけで良い。結果のことも気にしないで、それさえできれば安心しても良い。
やることを暫定的に考えながら、やったのかどうかだけを気にする。
自分でやろうと思ったことをやることができる。それが確実に、どのような時でも、こなせるのであれば、他に考えなければいけないことなどあるのだろうか?
好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、楽しいとか楽しくないとかそういうことに振り回され過ぎているような気がするのだ。気に入るとか気に入らないといか、あきらめるとかあきらめないとか、頑張るとか頑張らないとか。
やっている間、それが楽しいかどうかは約束できない。感情は、わりと気まぐれに動いていくから。理想は語れるけど、理想通りに動けるかは保証できない。保証できないことに時間を費やしても仕方ない。
だから、そういうのはどうでも良いので、ただ淡々と動けるように。
ただやることだけをやって、ただその先にある未来へ行くだけ。